あけましておめでとうございます!

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皆様、新年あけましておめでとうございます‼️

なんと、年が明けましたよー!!2022年になりましたね🎍昨年は、大変お世話になりました。今年も、熊本よかとこ教えるモンとMARINAをどうぞよろしくお願いします❤️

ちゃっかり寅ちゃん柄🐯写真でばっちりと!(笑)去年は、牛さん写真でしたからね😊気持ちを高めて気分リフレッシュで新年早々、熊本の魅力をブログにのせてお届けします‼️それでは、新年初ブログはこちらで決まり。

熊本のシンボルといえば!

熊本城

実は、何気に”熊本城”の紹介をしていなかったんですね。熊本といえば、それはもう熊本城なわけですが、マニアックな場所を探してはブログにUPしていたため、なかなか熊本城の紹介を出来ませんでした。がしかし!新年明けは、熊本のシンボル的存在を上げんといかんばい!と思いブログに✌️さぁ!それでは、熊本城について紹介させて下さい🏯

熊本城公式ホームページより参照しております。

“熊本城”は、慶長12(1607)年、茶臼山と呼ばれた台地に加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じて建てられたのが熊本城。以後、熊本城は400年に亘る日本の様々な歴史の重要な舞台となっています。加藤清正から細川氏、宮本武蔵、谷干城など歴史に名を刻んだ歴史ドラマの主人公たちが繰り広げる熊本城400年の歴史を楽しめるのが熊本城の魅力の一つです🏯❤️

熊本城の歴史は深く、現在はお城の形がしっかりとわかりますが、慶長12(1607)年茶臼山を中心に築城され、寛永9(1632)年には細川忠利が熊本藩主として入城し、廃藩置県後、熊本城には鎮西鎮台が置かれ、明治10(1877)年西南戦争の戦地となり、開戦直前の火災により天守・本丸御殿一帯が焼失してしまうのです。第二次世界大戦後には市民をはじめ天守再建の気運が高まり、昭和35(1960)年に大小天守が鉄骨鉄筋コンクリートで外観復元されています!熊本城は、数多くの歴史の舞台となり、今の形となっているんですよ✨

熊本城公式ホームページより参照しております。

また、先程から名前が上がっている、熊本城を築城した加藤清正(かとうきよまさ・1562年-1611年)が肥後に入ったのは、27歳の時。尾張(現在の愛知県西部)出身で、豊臣秀吉(1537年-1598年)とは、双方の母親がいとこ同士だったという説があるそう。肥後に入った後の清正は、長引く戦乱で荒れ果てていた肥後を立て直すために、治山治水(ちさんちすい)工事や、水田の開発などに力を入れます。その工事の功績はたいへん大きく、現在でも現役で利用されているものがあるんです!また、南蛮貿易に取り組むなど、領地経営を積極的に行うことで、肥後は豊かになったと言われており、そのため、加藤清正はやがて領民から神様のように慕われ今でも「清正公(せいしょこ)さん」と熊本県民から親しみをもって呼ばれている偉大な方なんです‼️

勉強が苦手な私でも、加藤清正さんは知っていて熊本で、知らない人はいないと思っております。知らない人いたら、説教しなきゃいけないくらい熊本の誇りですよ!

熊本城公式ホームページより参照しております。

また、熊本城内はおもに各10のゾーンに分けられています!天守閣ゾーン・本丸御殿ゾーン・平左衞門丸ゾーン・数寄屋丸ゾーン・飯田丸ゾーン・東竹の丸ゾーン・竹の丸ゾーン・西出丸、奉行丸ゾーン・二の丸ゾーン・三の丸ゾーンとなっております。その他も見どころは満載ですが、このように城内をわかりやすくゾーンで分けていて、観覧しやすくなっています✨魅力はね、もうこのブログでは書ききれないほどあるんですが、私が調べて気になった熊本城の見所をここで紹介させて下さい!

熊本城の気になる見所!!

「武者返し」

熊本城公式ホームページより参照しております。

熊本城の石垣は、通称で武者返し(むしゃがえし)と呼ばれているんですよ!石垣は熊本城の特徴のひとつ‼️熊本よかとこ教えるモン番組内でも、度々石垣が出て来ますよね!熊本城の石垣は、下はゆるやかで、簡単に登れるように見えますが、上に向えば向かうほど反り返りが激しくなり、登ることができません。武士はもちろん、身軽な忍者でさえも、登れないことから武者返しと呼ばれているそうです!ちなみに、武者返しというお菓子も熊本にありますよ❤️また、近代になり熊本城の建物の大半が失われたのに対して、ほとんどの石垣は当時のままの姿で残りましたが、平成28年熊本地震では、左側の石垣が沈下するなどの被害があり復旧作業が行われています。

まだ気になる見所!やはりこちら!

「天守閣」

熊本城公式ホームページより参照しております。

熊本城の天守閣の特徴は、四面に配した千鳥破風(ちどりはふ)と最上階の南北につくられた唐破風(からはふ)と呼ばれる建築様式。「御鉄砲御間」や「御具足之御間」、「御矢之御間」など戦いの道具にちなんだ部屋名がつけられており、江戸時代には武具などが納められていたそうで、小天守の石垣の上には忍び返し(しのびがえし)と呼ばれる敵の侵入を防ぐ鉄串が設置されるなど、細かなところに戦に備えた仕掛けがあったそうです。それらを探して見るのも、熊本城の楽しみ方のひとつですよ🏯平成28年熊本地震では、最上階の瓦や鯱瓦の落下、地下室石垣の崩落などの被害があり大変だったそうですが、現在は地震に備えた最新技術と伝統技法を融合させ、震災復興のシンボルとしての復旧作業を進めている熊本城です。

やはり、天守閣は絶対に外せませんよね。小さい頃にしかしっかり見たことがなかったので、熊本城はロケで必ず行きたい場所です。

見所に魅力は、まだまだありますのでぜひ、熊本城の公式ホームページをご覧下さい!

【公式】熊本城

地震で、大変な被害に遭った熊本城ですが、やっと復活に近づいてきています。観覧も出来る様になったりと、観光に来た皆さんにとっても、熊本県民にとっても、嬉しい事。熊本城の素晴らしさを一度皆様には見て頂きたいですね!!まずは、ホームページから少しずつでも知って頂けたら☺️✨

新年一発目のブログいかがでしたか?✨皆さんにとってよい年になりますよう心から願い、また来週もブログを書いていきます❤️今年も、どうぞよろしくお願いします!!では、また来週👋

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